戦争を知らない私が旅人として伝えたい平和の意味

旅の準備


みなさんこんにちは!おひとり女子旅編集長の中嶋といろです♡

私の目標は、【世界から戦争と国境をなくす事】そしてそんな世界を自由に旅する事です。旅人である以上多くの国に行き、その国の文化に触れる機会もとても多いです。

その中でそれぞれの国の戦争の傷跡を垣間見る事も多くあります。目をそむけたくなるような現実や、心臓をぎゅっと握られたような苦しい気持ちになる歴史。私達旅人はそんな事実さえもしっかり心にとめて伝えていく必要があります。

今回は、戦争を知らない私が旅人として伝えたい平和の意味をお話します。

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どの旅先でも出会う戦争の爪痕と記憶

多くの国を飛び回り、多くの文化に触れる機会の多い旅人は、悲惨な戦争の傷跡を目にする機会もとても多い事でしょう。どの国にも収容所や戦争の博物館はあります。当時使われていた軍艦や飛行機、戦車。それを見ただけだと「昔はこんな物使っていたんだー」なんて感心するだけかもしれません。

でも実際にその時の戦争の記録を学ぶと、思わず目を覆いたくなる事実や心臓をぎゅっと握られたような息苦しさを感じる真実と出合う事になります。

私達は子供の時、一通りの戦争の歴史を学びます。もちろんその悲惨さだってちゃんと教科書や映像で学んでいるんです。それなのに大人になる過程で、その現実はまるでおとぎ話の様にリアルさが抜け落ちてしまうんです。

知らない国や大昔の関係のない話。でも戦争は今でも世界の国で起きている現実です。旅をしていると、教科書で見たその戦争の歴史を目にする事があります。本や映像で見ただけの戦争では、どうしたってリアルさは失われてしまうけど、実際にその場所に旅をして感じた空気感はなかなか忘れる事ができません。

そんなリアルな空気をより多くみをもって体験しているのが旅人である私達です。

戦争を知らない世代でも旅人として平和を伝えていく義務がある

高校生の時、歴史の勉強をする同好会と銘打って旅行をする部活を立ち上げました。高校生で旅行部ってなんかおじいちゃんおばあちゃんの老人会みたいですよね(笑)

その活動一巻として行ったのが広島でした。ご存知の通り、日本は唯一の被爆国でその舞台となった場所の一つが広島です。

毎年その日になると原爆ドームにほど近い広場にはアメリカ、日本の重鎮があつまり献花が行われます。ただ旅行がしたい部活でしたが、さすがに高校の部活の一環としていく以上(顧問の先生もいたし)、なにかしら勉強をしなくてはいけないんです。

それで顧問の先生がセッティングしてくれたのが、被爆者の方のお話を聞ける機会でした。私が高校生の時の話なので今から10年ほど前ですが、それでも当時はすでに被爆者の方は高齢でだんだんと生でお話を聞ける機会は少なかったと思います。

もうだいぶうろ思えですが、その方が被ばくされた地下の薄暗い通信室でお話をお伺いしました。原爆が落とされて地下まで光が襲ってきて、地上に上がったときにはもう一面は焼け野原だったそうです。

その時に彼女が言っていた「一瞬で死ねた人はいいけど、中途半端にやけどを負って苦しんで川に身を投げる人の姿は悲惨だった」という言葉は今でも心をえぐられます。

町が一瞬で消えて、人が泣き叫びながら川に身を投げる光景なんて、今を生きる私達にとっては映画の中のお話でしかありません。現実に起こりうることなんてないまるで作り話のような感覚でしかありませんでしたが、実際にその場所を経験した人の話を聞いたとき言葉が出なくなってしまったのを覚えています。

軽い気持ちで始めた旅行部は、いつしか世界の戦争を学ぶ旅へ変わっていました。

その後に行ったのが、福島にあるアウシュビッツ平和博物館でした。アウシュビッツ収容所は歴史の教科書でも出てくる有名な場所ですが、たぶんほとんどの日本人は忘れてしまっている場所だと思います。

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第二次世界大戦時のヒトラー率いるナチスドイツでは、ユダヤ人の迫害が行われおり、その時に多くのユダヤ人が収容され迫害されたのがポーランド・アウシュヴィッツにある強制収容所です。

実は日本はこのアウシュビッツ収容所と深い関係を持っています。ちょっと前に唐沢さんが映画で主演していた『杉原 千畝』は、このアウシュビッツ収容所へ送られそうになっているユダヤ人にビザを発行して助けた人なんです。

アウシュビッツ収容所へ送られてしまうと、労働可能な男性以外は子供や女性関係なくすぐにシャワー室と呼ばれるガス室に連れていかれそのまま殺害されるか、銃で一人づつ撃ち殺されます。

そんな悲惨な状況を悲観して多くのユダヤ人をすくったのが『杉原 千畝』さんでした。この時日本だって連合国だったのに、ナチスドイツに逆らってビザを発行するなんて大変な勇気と覚悟が必要だったと思います。

この福島のアウシュビッツ平和博物館では当時の写真が多く展示されていて、本当に目を覆いたくなるような悲惨な現実さえも切り取られ今にその現実を伝え続けていました。

生きているうちにかならず足を運ばなければいけない場所だと強く思ったことを覚えています。ちなみにこの次の日私は40度の熱を出して立ち上がれないぐらいになりました。その時に「ビザを発行しなきゃ」と魘されたのを覚えています。それぐらい強烈な体験でした。

知らないからこそ知ろうとして、感じた現実は伝えたい

私達は戦争を知らない世代と言われ、命の危険を感じながら毎日を生きることはありません。でも、旅をしていると例えそのつもりではなくても戦争の傷跡を垣間見る機会が多くあります。

特に最近多くの日本が足を運ぶ東南アジアの国々はほんの数十年前まで戦地であった国も数多くあります。

ただ、その国に行って買い物をしてリゾートを楽しんだり写真を撮るだけじゃなくて、少しでもその国の歴史や文化に目を向ける事でより深くその国を知る事ができます。

旅人である私達には、そうして世界で現実を伝えていく義務があると思います。この平和な日本に生まれて、自分の幸せをいくらでも作れる戦争を知らない私達だからこそ、今の平和を幸せを未来永劫壊さない努力をしなければいけませんよね。

世界中のすべての人が隣の人に興味を持てば戦争はなくなる

海外に行って、文化も言葉も通じない世界にいきなり一人で降り立った時、もう何回もひとり旅をしていてもやっぱり不安になります。

何を言っているのかわからない言葉をしゃべる人ってすごく怖いですよね。相手はまったくそんなつもりはなくても「この人怒ってる?」「私の事をだまそうとしてるんじゃ?」なんて、言葉が通じないだけで人って思ってしまうんです。

以前ベトナムに行ったとき、はじめて東南アジアにひとりでいっったという事もありかなりカオスな雰囲気に圧倒されていつもは誰かれ構わず道を聞く私でもなかなかローカルに話しかける事ができませんでした。

「何かされたら怖いなぁ」どこかにそんな気持ちがあったのかもしれません。でも、日本語を話せるベトナムの人に合った瞬間すごく安心したんです。日本の文化を知っていて、意思疎通ができる。それだけで同じベトナムの人で同じ場所にいる人なのにすごく安心して信用できました。

人って知らないものに対して物凄い恐怖を抱くんですよね。知らないってすごく怖いんです。だから自分の知らない物を攻撃して排除しようとするんです。

新しく入社した社員は全然しゃべらないし愛想もあまりよくない。「なんか感じ悪いよね」なんて周りと話しているうちにどんどんその新しい社員を省いていってしまいます。でも、ある日たまたま一緒になった帰り路で、「話すのが苦手で、子供の時から内気だった」「緊張してなかなか話しかけられなくて困っている」という事を知った途端にその人に対して「感じ悪い」という印象はなくなりますよね。

むしろ、「だったら私が助けてあげるよ!」と思うのが人の情ではないでしょうか?

戦争もこれに似ているような気がします。私達一人一人が、ほかの国の文化や歴史に少しでも興味を持って知る事ができれば「だったら助けてあげるよ!」という気持ちがわいてくるのではないでしょうか?

あの国は感じ悪し、攻撃してもいいんじゃない?なんて思うのは、相手の事を理解しようとしていない証拠。知らない事、無知である事は罪なんです。

歴史は繰り返されると言われます。今は平和な日本だけど、私達が回りに対して無関心である以上、いつ自分が戦争に巻き込まれる側になるかわかりません。

無関心である事、無知である事は罪です。自分だけがいいなんて思っていても、自分だけ無事で生きられるなんて事、戦争の中ではありえないと私は思います。

戦争と国境のない世界を旅したい。ありきたりだけど3日坊主の私がトラベルライターを続ける理由

2017.11.12
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